1974's PHANTOMU(C/D/E) in 嘉手納A.B

Fー4C Fー4D Fー4E


F4C

'74年、今から27年前の夏の嘉手納基地で撮影したファントム達(空軍機)を紹介します。

当時は嘉手納に駐留していたファントムは18TFWのF−4Cと15TRSのRF4Cでした。

当時の所属部隊を表すと、

18TFW 44TFS ZL  ・ 18TFW 67TFS ZG ・ 18TFW 15TRS ZZ の3飛行隊でした。

このうち44TFSと67TFSは1971年、横田基地から移動してきた機体で再編されたものです。

横田基地でも里帰りということで何度かお目にかかっていますが、なかなか満足に撮影できると言うほどの飛来はなかった感じがします。

’71年の後半から横田がよいが始まった「あほや」は347TFW(GG・GL)はほとんど見ていません。まして撮影は全くしていません。

 ’75年、18TFWはテイルコードを「ZZ」の1本に集約しましたが、それあたりから先は横田通いも大分落ち着いてしまったため、

盛んに撮影したのはこのファイティングレッドコックスと呼ばれた67TFSとバッドマンズ??と呼ばれた44TFSのF4Cです。

F4C 67TFS  F4C 44TFS  F4C 44TFS 

 

F4C 67TFS F4C 44TFS 

 やはり、この沖縄行きで18TFWの撮影をしていなければF4Cを満足に撮れなかったでしょう。

インティクにあるインシグニアは右側面はそれぞれのTFSのワッペンが描かれています。

左側面は18TFWワッペンがえがかれていました。着陸は05Lをルート58の鋪道を駆け回って撮ったものです。

 

F4D

 実はこの’74年というのは米軍にとっての大きな節目でもあったようです。長かったベトナムでの紛争も終わり、

この年の10月にはタイからの空軍部隊の撤退がありました。上記の18TFWも「ZZ」にコードを統一させる際に

F4CからF4Dに機種変更しています。

  F-4D  UP   3rd TFW   

 

 さて、この’74年の嘉手納でのF4Dですが、韓国駐留の3TFWが飛来していました。

3TFWの編成は35TFS/UP・36TFS/UK・80TFS/UDの3飛行隊でした。但し、3TFWはこの年の10月には

フィリピン・クラークに移動し90TFSを配下にすることとなりました。但し、この3TFWの3っつのTFSは

そのまま、韓国に残りベトナムから引き揚げてきた、8TFWとして韓国に残って駐留を続けました。

 なかなかわかりにくい部隊移動だなぁ。と、当時も思ったんですがベトナムから戻った8TFWが韓国にいた

飛行隊の上部組織となり、もともと韓国にあった3TFWがフィリピン・クラークへ移動していき90TFSを

組織したと言うことですかねぇ。ちょっと心許ないですが大筋は・・・・。タイで活動していた部隊がPACAFに

戻ってきたと言うことだと思います。

 

F4E

 ’72に本格的横田がよいが始まった「あほや」にとって「F4E」というのはプエブロ号拿捕事件の時に韓国に派遣された

機体が横田に飛来した時の写真を伝説として拝見した位の覚えしかない憧れの存在でした。

 その、伝説のF4Eがこの年の夏前から横田に現れだしていました。先述のベトナムからの撤退に伴いタイから388TFWあたり

の機体がPACAFに流れ込んだようです。

 というわけで、この沖縄旅行では3TFW・36TFS「UK」のF4Eを撮影することができました。

このF4Eは2機とも後ろの埋め込みステーションにAIM−7・スパローを装着しています。

F-4E 3rdTFW 35TFS  UK F-4E 3rdTFW 35TFS  UK

  

 横田やこの嘉手納も基本的に同じだと思いますが、この3TFW、18TFW、等の上部組織となるPACAFに所属する

部隊の飛来が多くなります。この組織外からの外来というのはホントに珍しい外来機(珍機)です。例えばアメリカ本土からの飛来なんてのは

滅多なことではお目にかかれません。

 この当時はそんなわけでZL・ZG・ZZ・UP・UD・UK・そしてフィリピンからのPN辺りが運が良ければ撮れるといのが相場でした。

そんな中でこの年の沖縄ではタイからの引き上げてきたF4、388TFW・34TFSのシャークティースを書いた機体を撮影することができました。

 こいつはなかなかラッキーなことで、このF4を撮影したときは一緒に行った厚木仲間と小躍りして喜んだものです。