V M C J − 1  

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1972spring〜1974summer

RF−4B  EA−6A


RF−4B

 1972年、飛行機写真を取り始めた頃「横田」基地で当時の主力戦闘機の「F−4」ファントムを見ることはなかなか大変なことだったんです。

ベトナム戦争も厭戦気分の中収束に向かい、落としどころが気になる頃となり部隊の動きも多くなっていたようです。

 そんな中で横田にいたGG・GLのF4C部隊は嘉手納に移動し横田に戦闘機部隊は駐留していませんでした。

70年、71年にも何度か訪れ、そのにぎわいの一端を知っていた横田基地とは大分異なった状況になっていました。

何と言っても、「大型機ばっかり・・・・」というのが当時の感想です。

たまーーーに小型機が着陸灯1個付けて降りてくると「CT-39」という毎日でした(x_x;)シュン。

 当時撮れたファントムそれがこの「岩国」基地に駐留していたVMCJ−1のRF−4Bだったんです。

通称「ラーメン」、この23と24のモデックスがクロスカントリーで横田・厚木に飛来しました。           

 RF−4B VMCJ−1 RM 23 

 横田南側エンドの国有地にいたときのお話です。当時のノートを無くしたあほやには到底覚えていられる訳のない

大昔のお話です。或る北風もぬるくなる初夏の一日・・・だったかなぁ(笑)。とにかく、南側のエンドで撮影していたらランウェィチェンジに

なっちゃったんです。・°°・(>_<)・°°・。。何と言っても歩きのあほやは反対側エンドまで1時間半は楽勝にかかります。

午後2時、3時に風変わられると悲しいところがあったんです。まぁ、天気でも悪ければ「家に帰って、引き伸ばしでもするか。」

ってとこなんですが、上がり待ちの外来がいてお天気が良いと、そこはそれスケベ根性でて来ちゃうんですよね(苦笑)。

 そんなある日のことランウェー北側からF−4が降りて来るではありませんか、「ぎゃーー!!」とばかりに金網にへばりつくと

あれよあれよ、という内に誘導路をドンドン通過して目の前のタキシーウェー迄来るではありませんか。嬉しかったですネェ

あの時は・・・と言うのがこのRM17番のドラッグなんです。今ではまるでツキから見放された感のある「あほや」ですが

昔は「いい子」だったからこんな良いことにも何回かぶつかったんですよ。それにしても、今のツキの無さには(絶句!!)・・・・・。          

RF−4B VMCJ−1 RM 17 

このRF−4Bの塗装の変化と同部隊に所属したEA−6Aの塗装を少しずつご紹介します。

 

 

’73年の10月に”USS MIDWAY”が横須賀を母港とすると、当初CVW−5に搭載されていた、

クルーセイダー「RF−8G」に変わりVMCJ−1が分遣隊で”MIDWAY”にも派遣されるようになりました。

機種のモデックスが3桁の艦載機風になっています。この写真は’74年5月「岩国基地」での撮影です。 

岩国名物の捻りあがりを・・・・・

RM-601

RM−603

こんな離陸をもう一度撮りに行きたいんですが・・なかなか大変なんですよ、この上がりを撮るのは。                                    

 RM−600 RM−601 RM−604 RM−605

この写真は「岩国基地」のRW20への着陸です。田圃のあぜ道みたいなところでフェンスにしがみついて撮った記憶があります。

今では「グラウンド」のようになっているところです、昨年四半世紀ぶりに出かけた時に「確かここは・・・」とうなっていました。

岩国というと”ひねり上がり”が有名ですが、まともにRW20で降ろしてくれれば午後からでもこんな感じに撮れました。

但し、これで金網一杯だったので、200oで「ホーク」を撮るのは厳しかったです。

 横田や厚木ではなかなか撮れない「MARINES」、待ってチャ撮れないとばかりに大学生になって時間に余裕のできた

「あほや」はこの年、確か3回くらい出かけました。

 

’74.9 沖縄撮影旅行                            

RM−600  RM−601 RM−603

 この3枚はおNEWの塗装でした。当時は艦載機はハデハデフルカラー(といっても当時は普通だったんですけれどね)

の時代でした。そんな艦載機達に混じって同じ甲板にいるうちに同化されたんでしょうか???なかなか、こちらも

ハデハデな塗装となったVMCJ−1のRF−4B達です。色つきでお見せできないのが残念です(x_x;)シュン。

黒の垂直尾翼に黄色の文字ででっかく「RM」の文字が入っていました。5月の岩国の三軍での上の写真とこの

9月の間に変わったんですがハッキリ時期がしませんm(_ _)m。沖縄旅行の前には横田・厚木でこの塗装は見ていました。

 600番は沖縄旅行の入口となった岩国基地での撮影です。寝台特急で朝、岩国について着いて夕方まで撮影して、

次の目的地「大村」に向かって出発しました。確か、夜に岩国出て夜中は夜行で九州に入り鳥栖の駅でふらふらして

大村に向かいました。

 築城だ新田だ遊び歩いて家を出てから1週間後くらいに沖縄に入って嘉手納で撮ったのが601・603の

新塗装「RM」ファントムです。

 600番のインティクベーンの文字などは全く変わっていません。

 

EA−6A

 さてさて、次はEA−6Aです。といっても、以前に紹介した’74年岩国三軍記念日でのトーイング写真が

私とEA−6Bの初対面でした。

一桁モデックスの時代はレドームが黒くていかつい感じのEA−6もあり格好良かったんですが・・・

’72・73年に横田でのタキシングの写真を指をくわえてよく見せて貰ったものです(x_x;)シュン。

 飛んでる姿は岩国の外から撮った’74年5月と9月の2回程でした。電子偵察機はベトナム戦争で活躍しました。

そんな関係で同じVMCJ−1所属機とはいえ、EA−6Aの方が見る機会が少なかったようです。 

EA-6A RM 614  '74/9  EA-6A RM 612 '74/5

 ’74年5月の岩国基地3軍記念日で撮影の写真をご紹介します。

考えてみれば5月5日というのは日本にとっては祭日ですが、米軍にとってはただの1日ということなんでしょうかねぇ。

でもオープンハウスの最中にお洗濯というのもなかなか( ゜_゜;)ですよね。

 白黒写真はトーイングされているRM616の写真です。 この写真3枚は200oでの撮影です。            

EA-6A RM 616 MCAS岩国 '74/5/5 三軍記念日    

612 612 616 616 616